第94回 認知症介護 独語と帰宅願望

 認知症の母がグループホームに入って1年あまり経った2016年の9月、グループホームから「おたより」が届きました。

 毎月届けられる領収書や請求書と一緒に、日常の様子を伝えてくれるものが入っているのです。

 それには独り言の内容がきつくなってきているとありました。

 母の独り言については、「第58回 認知症介護 夜中の激しい独り言」や「第63回 認知症介護 独り言 家族への影響」などでも触れています。

 元々は穏やかな性格だった母ですが、子どもの頃のつらい経験が思い出されて吐き出されるような独り言を言ったり、不安や恐怖から出てくる激しい独り言を言ったり、そんなことも増えていました。

 グループホームからのおたよりには、具体的なことは書かれていませんでしたが、家にいた時のようなものだと思います。

 帰宅願望については、グループホームに入った頃からずっと継続です。

 当然のことと思います。

 認知症になってもすべてが分からなくなるわけではありません。

 感情もあるし、思考力だって全くなくなるわけではありません。

 住み慣れた家に帰りたいという気持ちは強いはずです。

 2018年12月現在、母の症状は、グループホームに入った頃よりだいぶん進行していて、もう私が息子であることもたぶん分かりません。

 それでも面会に行けば必ずと言っていいほど「おうちに帰りたい」と言います。

 それが私にはつらい。

 2016年9月のメモです。

2016年9月○日

・グループホーム「S」から7月分の領収書や8月分の請求書が届いた。

 同封されている「おたより」の中の「日常のご様子」にこうあった。

 「何が原因になってしまったのかわかりませんが、7月終わり頃から以前に比べると独語の内容がきつくなってきているように感じます。「家に帰りたいよ」と帰宅願望の訴えが時々あります」とあった。

 帰りたいだろうなあ、つらいことだなあ。

第91回 認知症介護 介護のストレスか、グループホームに預けた負い目か 

 私が寝ている部屋の隣の部屋に母がいます。

 母はパニック状態になっていて、ふすまをブスッ、ブスッと傘か何かで刺してきます。

 母の声はしません。

 「お母さん、お母さん」と私は、母を落ち着かせようと何度も母を呼びました。

 しかし、声が出せません。

 「お母さん、お母さん」と言っているつもりなのに、「おあああん、おあああん」としか言えません。

 私は焦りました。

 母は黙ったままブスッ、ブスッとふすまを刺してくるのをやめません。

 「おあああん、おあああん」。

 私の方がパニック状態です。

 「大丈夫?」という妻の声で、私は目が覚めました。

 夢を見ていたのです。

 母の姿も見えないし、母の声も聞こえないのに、母がパニック状態と分かっていたのは、夢だったからなのでした。

 「うなされているようだったよ。お母さん、お母さんって言っていたよ。」と妻は言いました。

 認知症の母をグループホームに預けることになってから、8カ月ほどが経過した2016年4月のことでした。

 「家族がつぶれてはいけない、明るい介護を目指そう」と心がけてはいましたが、私には、なかなかあっけらかんとした介護はできませんでした。

 母の一挙手一投足、一言一言に心が揺れました。

 自宅での介護もそろそろ限界だと感じて、母をグループホームに預かってもらうことにして、介護の大変さは軽減されたものの、「本当によかったのだろうか」という思いは、なかなか消えませんでした。

 「介護を苦労と思ってはいけない」などと、どうしても力が入ってしまい、自然体ではいられないのです。

 介護している人の多くはそうだと思いますが。

 2016年4月のメモです。

2016年4月○日

・夢を見た。

 寝言を言っていたようだ。

 私の妻は「うなされているようだった」と言っていた。

 時計を見たら朝の2時だった。

 母が隣の部屋にいて、私は寝ている。

 母が何かパニックになったようにわめきだして、傘のようなもので部屋を仕切っているふすまをブスッ、ブスッと刺し始めた。

 それで寝ていた私は、母を少しでも落ち着かせようと「お母さん、お母さん」と声を出していたのだ。

 「お母さん」という言葉がうまく言えなくて焦りながら。

 夢の中では「お母さん」と3回言っていた。

 母を介護してきたストレスや、母をグループホームに預けている悲しみが、このような形で現れたのかもしれない。

 今もだいたい週に一度くらいのペースで面会には行っているが。

第80回 認知症介護 グループホーム入所初期の母の様子

 認知症の母がグループホームに入ったのは、2015年8月のことでした。

 激しい独り言を言ったり、夜中に物をたたいてカンカンと音を出したりして、家族の睡眠にも影響して、自宅での介護が限界だと判断したのでした。

 それでも、母が何もできないわけではありませんし、何も分からないわけでもありません。

 感情ももちろん残っています。

 グループホームに入所した初期は、思考力や判断力もあり、私が息子だということもはっきり分かっているようでした。

 3年後の現在では、私が息子だとは分かっていないようです。

 先日も私に対して「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼びかけていました。

 私は長男ではないので、幼いころからずっと母に「おにいちゃん」と呼ばれたことはありませんでした。

 もしかすると、呼びかけ方が分からないだけで、目の前にいる私が息子だという認識はあるのかもしれません。

 そこは分かりません。

 母がグループホームに入所して以来、3年間一貫しているのは、「家に帰りたい」と訴えることです。

 これは私にとっては辛いことです。

 母がグループホームに入所した時には、紙パンツをしていました。

 尿も便も漏らしたことはまれでしたが、本人も家族も紙パンツをはいていたほうが気が楽だということで、はいていたのです。

 本人が進んで紙パンツをはいていたかは微妙ですが。

 しかし、グループホームに入ってしばらくしたら、紙パンツがとれました。

 というより、介護スタッフの方が、「ほとんど漏らしていないようなので、紙パンツはとりました。」と言って、紙パンツ無しにしてくれたのです。

 介護する側にとっては、紙パンツをはいていたほうが、何かと処理しやすいと思うのですが、「本人にはこのほうがいいと思うので。トイレに行かないと、と本人が気にする状況のほうがいいと思うので。」と外してくれたのです。

 この件で私たち家族の介護スタッフに対する信頼は高まりました。

 母がグループホームに入所して1か月から2か月の頃のメモです。

2015年9月○日

・昨日グループホーム「S」に面会に行ってきた。

 妻と三女の秋子と3人で。

 「ここにいても楽しいことはないねえ」と母は何度も言っていた。

 そういう言葉を聞くのは辛い。

 それでも、世話してもらっているからか、こざっぱりとして、見た感じは悪くはない。

 悲しそうではあるが、怒っているような不機嫌そうな感じではない。

2015年10月○日

・今日グループホーム「S」に面会に行ってきた。

 妻と二人で。

 「早く家に帰りたいけど、他に行くところがないからしょうがないねえ。」「ここで一人で寝るのは寂しいよ。」と言っていた。

 もちろん、大部屋がいいということではなく、「家族と一つ屋根の下で寝たい。」という意味のはずだ。

 寿司とうなぎでは、寿司の方が食べたいと言っていた。

 来週の三連休のどこかで外出して寿司を食べに行こうかと考えている。

 介護スタッフのHさんに聞いたところでは、初めのころは独り言もあったが、最近は全然独り言を言っていないとのこと。

 見た感じは穏やかそうで悪くはない。

 しかし、帰りたい、寂しい、という言葉は当たり前だが出る。

 そういう言葉を聞くと、こちらも寂しくなってきて辛い。