第96回 認知症介護 いまさらアリセプト処方?

認知症の母がグループホームに入ったのは2015年8月のことでした。

2012年2月に認知症と診断されて、まもなく認知症薬のアリセプトを飲むことになりました。

2012年3月からアリセプトを飲み始め、別の認知症薬メマリーに移行して、グループホームに入ったときにはリスパダールという薬だけにしていました。

もちろんずっとお世話になってきたO医師と相談しての結果です。

なのに、なのに、なのに、(わざと繰り返しています)、グループホームに入ってから1年以上経った2016年11月に、グループホームの医療を担当している医師から母にアリセプトが処方されたのです。

そんなことってあるのでしょうか。

認知症の薬の使い方について詳しく知っているわけではありませんが、認知症の進行を遅らせる効果しかないという薬の性質上、一度飲んで、別の薬に移行した後、またアリセプトに戻るのは、ありえないのではないかと私は考えたのです。

もしかするとありえるのかもしれませんが。

私はグループホームに入るにあたって、母の認知症のそれまでの経過や生活状況、現在飲んでいる薬、終末期についての要望などを紙に書いて、グループホームの方に提出しました。

グループホームには提出したものの、それが医師にまで伝わっているとは限らないと考え、過去のカルテを確認してもらいたいと担当の医師に手紙を書きました。

その後、特段それについての説明は受けていないので、私は今も状況が分かっているのかと医師を少し疑っています。

実はその担当医師と母がお世話になってきたOクリニックとは近い関係で、カルテを確認することは何でもないはずだと思うからです。

聞きにくいので聞いていませんが、今度グループホームの方に、今飲んでいる薬を確認したいと言ってみようかな、と思っています。

グループホームのスタッフの方々とは関係も良好で、聞けないことはないと思いますので。

2016年11月のメモです。

2016年11月○日

・グループホーム「S」からの「おたより」に、アリセプトが処方されたとあった。

先月の「おたより」に認知症の薬が必要かもしれないと担当の医師が言っていたとあったので、もしかしてカルテを見ていないのかなと思い、アリセプト、メマリー錠など、薬の経過などを少し書いて、Oクリニックにあるカルテを確認してほしい旨の手紙を書いた。

書いたもののその手紙をグループホームに渡しに行くのが遅れた。

それで今日届けてきた。

手紙の内容も責任者のIさんとケアプランを作ったMさんに話してきた。

日常の様子を聞いたり、元々のおばあちゃんの性格や小さいころのつらい経験が激しい独語として表れているかも、ということも話してきた。

 母の様子は、少しぼーっとした顔つきで、息子だという認識も怪しい感じはした。

第94回 認知症介護 独語と帰宅願望

 認知症の母がグループホームに入って1年あまり経った2016年の9月、グループホームから「おたより」が届きました。

 毎月届けられる領収書や請求書と一緒に、日常の様子を伝えてくれるものが入っているのです。

 それには独り言の内容がきつくなってきているとありました。

 母の独り言については、「第58回 認知症介護 夜中の激しい独り言」や「第63回 認知症介護 独り言 家族への影響」などでも触れています。

 元々は穏やかな性格だった母ですが、子どもの頃のつらい経験が思い出されて吐き出されるような独り言を言ったり、不安や恐怖から出てくる激しい独り言を言ったり、そんなことも増えていました。

 グループホームからのおたよりには、具体的なことは書かれていませんでしたが、家にいた時のようなものだと思います。

 帰宅願望については、グループホームに入った頃からずっと継続です。

 当然のことと思います。

 認知症になってもすべてが分からなくなるわけではありません。

 感情もあるし、思考力だって全くなくなるわけではありません。

 住み慣れた家に帰りたいという気持ちは強いはずです。

 2018年12月現在、母の症状は、グループホームに入った頃よりだいぶん進行していて、もう私が息子であることもたぶん分かりません。

 それでも面会に行けば必ずと言っていいほど「おうちに帰りたい」と言います。

 それが私にはつらい。

 2016年9月のメモです。

2016年9月○日

・グループホーム「S」から7月分の領収書や8月分の請求書が届いた。

 同封されている「おたより」の中の「日常のご様子」にこうあった。

 「何が原因になってしまったのかわかりませんが、7月終わり頃から以前に比べると独語の内容がきつくなってきているように感じます。「家に帰りたいよ」と帰宅願望の訴えが時々あります」とあった。

 帰りたいだろうなあ、つらいことだなあ。

第93回 認知症介護 認知症、前を向くために その1

「認知症、前を向くために」という特集記事が、朝日新聞のオピニオン欄にあります。

今日(2018年12月2日)がその第1回で、「家族の葛藤」がテーマです。

「今まで言いたいことを言って私を傷つけてきた人に、なぜ優しく接しないといけないのか」と嫌いな姑の介護に苦痛を感じている女性の声。

「認知症予防、という言葉に『予防できるはずなのに怠っていたから認知症になったんだ』というとんでもない攻撃が隠れています」と指摘する女性の声。

どちらもよく分かります。

特に「予防できるはずなのに怠っていたから認知症になったんだ」という攻撃が隠れているという指摘には、大いに共感します。

身近な人が認知症になり、その介護を自分で経験してみないと、認知症の人に対して優しくなれない、というのも多くの人の現実なのだと感じます。

自分が痛い目に遭わないと分からない、というのも人間の常ですから。

介護することを「痛い目」などと言ってはいけないですが。

認知症の予防に効果がある習慣は、たしかにいろいろとあるのでしょうし、それを実行して認知症予防に励むのはいいことだと思いますが、誰でも認知症になる可能性はあるはずです。

私も「いつかは自分も認知症になるかもしれない」と思って、介護に向き合ってきました。

予防に努めれば認知症にならないというのは誤解だと思います。

「こうすればこうなる」と考えすぎてはいけないと思います。

最近読んだ内田樹さんの『常識的で何か問題でも?』(朝日新書)のあとがきに心に留まった部分があったので、少し長いですが、引用します。

「入力と出力の間にシンプルな相関関係がある仕組みは『ペニー・ガム・システム』とも呼ばれます。ペニー硬貨を投じると必ずガムが出て来る自動販売機の仕組みです。このシステムを現代人は偏愛しております。特に若い人たちにこの傾向が顕著である。そのことを僕はこれまで何度か指摘してきましたけれど、それはあくまで局所的な傾向に過ぎず、日本社会の隅々にまでこれほど広まっているとは思いませんでした。」

「予防すれば認知症は防げる、それを怠ったから認知症になった」に潜む攻撃性の裏に、「ペニー・ガム・システム」偏向の傾向に通じるものを感じます。

朝日新聞の記事には、このブログの「第11回 認知症介護 どんな本を読んだか」でも触れた『母さん、ごめん』(日経BP社)の松浦晋也さんも写真付きで出ています。

食品を台所いっぱいに散らかして「おなかが減って」と訴えるお母さんに手を上げてしまい、その直後は放心状態で涙があふれた、という松浦さんの経験が書かれています。

「介護の矢面にたたない家族は、介護する人をケアする心配りがほしいと思います」と松浦さんは言います。

これにも同感です。

「認知症の人と家族の会」が定期的に開く「つどい」に参加して、同じ立場の人に悩みや愚痴を打ち明けることの意義も、記事には書かれています。

その東京都支部で司会を務めた斉藤響子さんの言葉にも大いに共感しました。

その部分は、「『こうするべきだ』よりも、目の前の母親が笑っていることが大事だと思えるようになりました」という部分です。

私の母は、最近ほとんど笑顔を見せなくなってしまっています。

食べたものがおいしいとか、家族の話題で笑えるとか、散歩が心地よかったとか、そういうことで少しでも笑顔になれることが大事だと以前から思っています。

それもかなわなくなってくるのですけれど。

「母の首をしめようかと思う」と「つどい」に現れた女性に、「ちょっと笑ってくれることがあったら、その日一日は生きていける。爆笑させられたら1週間、生きていける。その積み重ね」と斉藤さんは話します。

「認知症、前を向くために」は、来週12月9日が第2回。

全部で第4回までの予定のようです。