第114回 認知症介護 少しでも母に喜んでもらいたくて

 認知症の母がグループホームに入って、しばらくは届けを出して母と外出して、母の好きなものを食べに行くこともありました。

母に「何が食べたい」と聞くと、きまって「お寿司」と言いました。

寿司以外に母はうなぎも好きだったので、「うなぎを食べに行こうか」とこちらが言うと、「うなぎもいいねえ」と言って、うなぎを食べに行ったこともあります。

そのあたりは、「第82回 認知症介護 グループホームから外出し寿司を食べに行った」や「第92回 認知症介護 グループホームから外出しうなぎを食べに行った」に書きました。

しかし、そのように母を連れ出して外食できたのも、グループホームに入って1年余りでした。

その後は、お正月におせちを持って行っていくくらいです。

2018年11月には、みたらしを買って持っていきました。

みたらしは、母が特別食べたいと言ってはいませんでしたが、以前から私がみやげに買って帰ると母は「おいしい、おいしい」と食べていましたし、私にとって、みたらしは、子どもの頃のうれしい思い出がよみがえる食べ物の一つなのです。

グループホームの介護スタッフの方たちへのおみやげの分と、母と一緒に食べる分のみたらしを買っていきました。

2018年11月のメモです。

2018年11月○日

・「もう死にたい」という母の言葉が頭を何度もよぎり、気分が沈んでいたこともあり、母への面会は一か月くらいあいてしまった。

母と食べるのと、スタッフの方へのお土産も兼ねて、みたらしを買って(家用に5本、土産用に10本)、10:30に面会に行った。

朝から血圧が高いということで、母は寝ていた。

5分程部屋にいて、帰ってきた。

管理者のIさんが言うには、食事はしっかり食べるときもあるが、全く食べようとしないこともあるとのこと。

誤嚥のためだろうが、むせることも時々あると。

のどの神経が鈍くなっていて食べた時にむせるというのは、グループホームに入る前からのことではあるが。

みたらしものどに詰まらせる危険性があるものの一つなので、もう食べさせるのも難しいかもしれないと思った。

細かく刻めば大丈夫かもしれないが。

第113回 認知症介護 「もう死にたい」

 昨年(2018年)の10月、グループホームに母の面会に行ったときに、母は「もう死にたい」と口にしました。

この言葉を言ったのは、この時が初めてです。

ドキッとしました。

面会に行くたびに、母は「家に帰りたい」、「腰が痛い」、この二つは必ず口にしていて、この言葉を聞いていましたが、「もう死にたい」と言ったことはありませんでした。

私の妻と三女もその場に一緒にいて、その言葉を聞いていたはずですが、帰りの車の中でも、それについては少し触れただけでした。

妻も三女もつらい気持ちだったに違いありません。

痛い腰を抱えて、車いすで、やりたいこともできずに日々を過ごす。

トイレのことも、風呂のことも、自分ではできず、もどかしいことだろうなと思います。

介護施設でのいろいろな事件が新聞をにぎわしています。

介護をめぐる自治体の取り組みが進んでいるという面もありますが、うれしくないニュースもあります。

2018年10月のメモです。

2018年10月○日

・夕方、17:40にグループホームに母の見舞いに行った。

妻と三女の秋子と。

母は、もう死にたいと、我々の滞在していた15分程の間に3回も言った。

問いかけにも半分くらいは答えず、ボーっとしていることも多いのだが、その時は意識がしっかりしているように感じた。

聞いているのがつらい。

時々深い咳をしていた。

誤嚥性肺炎を起こしているのではないかと思った。

自力で快復するだけの体力、免疫力があるものだろうか。

グループホームに預けているお小遣いは残り3000円ほどだとのことなので、1万円預けてきた。

第112回 認知症介護 母の「夢だった」の意味

 「夢だった」と母が言いました。

昨年(2018年)9月に、私が一人でグループホームに面会に行ったときのことです。

母との意思疎通は難しくなっているので、その「夢だった」の意味が分かりません。

会いに行った少し前にうとうとしていて夢を見ていたのかもしれません。

それを「夢だった」と言ったのか。

前後の脈絡はありません。

この1か月ほど後に面会に行ったときに「もう死にたい」と母が言って、ドキッとしたこともありました。

その時は正気で言っていると感じたからです。

それを思うとこの「夢だった」も正気の言葉と思えてくるのです。

「人生を振り返ると夢のようだった」かもしれません。

しかし、このとき私が聞いたのは、「お前に会うのが夢だった」なのです。

それも普通に考えればおかしいのです。

数週間に一度は会いに行っているのですし。

母はもう私のことを息子だと認識していないようです。

このときも「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼んでいました。

私は次男ですから、幼いころも母から「おにいちゃん」とは呼ばれていません。

もしかすると兄と見分けがつかなくなっているのかもしれません。

息子としての長男としての「おにいちゃん」ではなく、よその男の子に対しての「おにいちゃん」という感じの呼びかけではありましたが。

本当のところは、単純な意味なのかもしれませんが、あれこれと考えてしまいます。

母がそう感じているかどうかも分からないのですが、言いたいことを伝えられないもどかしさを感じているかもしれない、と考えてしまうのです。

2018年8月の短いメモと9月のメモです。

2018年8月○日

・兄が来ていたので、三女の秋子と私の三人でグループホーム「S」に行ってきた。

今日は母の顔色もよく、機嫌がよさそうなのが何よりよかった。

2018年9月○日

・そろそろグループホームに預けているお小遣いが足りなくなっているのではないかと思い、1万円を持って行った。

やはりマイナス2000円になっていた。

母はそれなりに元気そうだった。

私に向かって何度も「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼んでいた。

昨日、N市に行ってきたことなどを話すと、「よかったね」などの受け答えはする。

途中「夢だった」と言うので、「夢を見たの」と尋ねると、「夢だった」と言う。

「お前に会うのが夢だった」とはっきりとした口調で言った。

息子に会いたかったという意味なのだろう、たぶん。

「おにいちゃん」と言っているので、息子というのは分かっていない。

もしかすると、息子とは分かっているけど、どう呼べばいいのかが分からないだけかもしれない。

いやいや、それはないな。

でも次男の私にこれまで「おにいちゃん」と呼んでいたことはないので、息子というのはきっと分かっていない。