第121回 認知症介護 肺炎

 「お母さまがせき込むので病院に連れて行って診てもらったところ、肺炎という診断でした。もし、容体が急変した場合、救急車を呼びますか」とグループホームの職員の方から電話がありました。

 もちろんとまどいはありましたが、「救急車を呼ばないということは、お医者さんに連絡して看取るということですか」と尋ねたうえで「そうしてください。救急車は呼ばないでください」と私は答えました。

 グループホームに入るときに、母本人や家族の希望を伝えています。

 母は50歳代の若さで亡くなった妹さんの介護や夫(私の父)の介護などを経験しており、長患いしない「ピンピンコロリ」を切望していましたから。

 私も終末期医療をどうするかということについては、父の終末期以来、何年も考え続けてきていますから。

 そして、遠方に住む兄に電話しました。

 「グループホームから電話があった。お母さんが肺炎になったらしいよ。容体が急変したら救急車を呼ぶかどうかを聞かれたから、呼ばないでほしいと言ったよ。それがお母さんの希望でもあったはずだから」と伝えました。

 「もしかしたら、今晩家族が呼ばれるかもしれないし、それはないかもしれない。でもあの口ぶりなら可能性は結構ありそうだから、この週末はこちらに来ておいたほうがいいと思うよ。喪服も持って」と伝えました。

 それが1か月ほど前のことです。

 医師の話では誤嚥性肺炎かどうかはよく分からないということでした。

 母はグループホームに入る以前からのどの神経が鈍くなっている感じがあり、食事時にむせることがしばしばありましたから、誤嚥性肺炎になる可能性は高いと考えていました。

 私も覚悟していましたが、その後母は快復しました。

 5日ほど栄養や薬を点滴したようです。

 その間、口からは何も食べていないはずです。

 担当している医師は「女性は強いなあ」と言っていたそうです。

 快復したといっても、こちらの呼びかけに「あー」と返事をしたり、オウム返しに同じことを言ったりする程度です。

 「腰が痛い」と「お家に帰りたい」も以前のように言うようになりました。

 そんなこんなで、ブログの更新が2か月もあいてしまいました。

 以前のようなペースではなかなか更新できないかもしれません。

第90回 認知症介護 NHKスペシャル「シリーズ 人生100年時代を生きる」その3

  NHKスペシャル「シリーズ 人生100年時代を生きる」の第2回が、11月18日の日曜日に放送され、私も見ました。

 「命の終わりと向き合うとき」というタイトルで「終末期医療」がテーマでした。

 「終末期医療」について、私は父の晩年からずっと考え続けています。

 13年程になります。

 認知症の母を介護することになってからは、ますます「終末期医療」について考えるようになり、その方面の本も何冊も読んできました。

 中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)、石飛幸三『「平穏死」という選択』(幻冬舎ルネッサンス新書)、川嶋朗『医師が教える幸福な死に方』(角川SSC新書)、久坂部羊『日本人の死に時』(幻冬舎新書)などです。

 番組では、最先端の医療設備が整う救命救急センターに、80歳以上の高齢者が次々と運び込まれてくる現状を紹介していました。

 社会保障費の抑制を図るため、高齢者の最期を支える場所を「病院」から「自宅」へと国が方針転換したものの、予期していなかったことが起こっているのです。

 介護している高齢者の呼吸が遅くなるなどした際、終末期かどうかの判断がつかないため、家族が救急車を呼ぶ、高齢者は病院に運ばれ、そのまま延命医療を長期間受け続ける、という事態が頻発しているというのです。

 医療技術の進歩によって、80歳以上の高齢者に対しても人工透析ができるようになったものの、人工透析をしているうちに認知症を発症し、本人が人工透析を希望するかどうかの意思確認ができないまま、透析を続けている例も少なくないようです。

 装置を外さないように、手にミトンをはめられ、拘束された状態で人工透析をする高齢者。

 その高齢者の孫があんなにまでして治療するのを見るのはつらい、と言ったそうですが、私もそう思います。

 意識が戻らないまま横たわる親の姿を見て「こんなはずではなかった」と悔いる家族、本当にこれがすべきことなのかと悩む医師たち。

 私が「ああ、そうなのか」と思ったのは、今は人工呼吸器を外すなど、延命医療を中止することもできるようになってきたということです。

 人工呼吸器、胃ろう、人工透析など、延命のための治療は、一度始めたらやめることができない、と私は思っていました。

 10年ほど前までは、やめられないというのが常識だったようです。

 「少なくとも人工呼吸器を途中で外すということはできない」とほとんどの医師も考えていた、とのことでした。

 実際に一度付けた人工呼吸器を外す選択をした家族も紹介されていました。

 膨らみ続ける医療費を抑制するという目的もあるでしょう。

 延命医療が本人や家族のために本当にいいことなのかという議論が高まってきたこともあるでしょう。

 延命医療の中止や不開始ができるようになってきたのはいいことだと、私は考えています。

 ゲストの阿川佐和子さんも、そのお父さんも、そして多くの人が、自分に延命医療をしないでほしい、と考えているようです。

 痛みの緩和は行ってほしいと思うけれど、意識がない状態で、人工呼吸器や胃ろうや人工透析で延命されるのは勘弁してほしい。

 多くの人と同じように、私もそう考えています。

 自分の命は基本的には自分のもので自分が決定すればいいと思いますが、一方で、自分だけのものではないとも思います。

 意識がない状態でも生きていることが家族の励みになることもあるからです。

 私は、延命医療をしてほしくないと明確に考えており、エンディングノートも書いています。

 毎年一度書き直すような丁寧なことはしていませんが。

 そのエンディングノートが私の書斎の本棚にあるのを、私の長女は知っています。

 私の妻は知らないかもしれません。

 あまり気にしていない様子です。

 私が話してもあまり真剣に聞いていないようにも感じます。

 妻は自分の父親が半身不随や寝たきりになり、晩年は脳死状態になったということを経験しているので、私のようにきっぱりと延命医療を拒否するとまでは考えられないのだと思っています。

 番組にも登場していたような、患者の人生の最期に寄り添ってくれる医師が増えてくれることを望んでいます。

 詳しくはNHKのホームページをご覧ください。

 NHKスペシャル第2回「命の終わりと向き合うとき」

第88回 認知症介護 NHKスペシャル「シリーズ 人生100年時代を生きる」その1

 NHKスペシャル「シリーズ 人生100年時代を生きる」が、今日と明日(2018年11月17日と18日)、2夜連続で放送されます。

 第1回の今日は「終(つい)の住処(すみか)はどこに」というテーマです。

 比較的安く手厚い介護が受けられる「特別養護老人ホーム(特養)」の待機者は30万人を超えるとされます。

 国は施設の担い手を「官から民」へと転換しようとしており、7年前に導入されたのが、「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」です。

 その「サ高住」で何が起きているのか、実態が明らかにされます。

 第2回の明日は「命の終わりと向き合うとき」というタイトルで「終末期医療」がテーマです。

 私の母も先日「もう死にたい」と言い始めて、私はつらいです。

 妹や夫の最期を看病してきた母は「ピンピンコロリ」をあれだけ希望していたのに、そうはいっていない。

 私にとっても「終末期医療」をどうするかは、長年考えてきたテーマです。

 2夜ともゲストは阿川佐和子さんです。

 現在母親の介護をしている阿川さんは、3年前に父親の弘之氏を、延命医療をしないで自然な形で看取ったといいます。

 「穏やかな最期はどのように迎えることができるのか」に悩んできたとも。

 現場では「延命中止」の取り組みが始まっているということも紹介されるようです。

 親の介護に向き合っている人にとっては、どちらも切実なテーマで、見逃せないですね。

 私も見たいと思っています。

 詳しくはNHKのホームページをご覧ください。

 私もそこを参照しました。→「NHKスペシャル