第4回 認知症介護 認知症の検査に連れていく

私の介護メモが始まるのは2012年2月○日からです。

認知症介護の初期に感じる難しさの1つは、様子がおかしくて認知症の検査を受けさせたいと思っても、本人は当然のように嫌がるということです。

私の母もそうでした。

物忘れが少しずつ増え、できないことが少しずつ増えていくけれど、思考力や感情がなくなるわけではありません。

これは症状が大分進んでからでも同じです。

かかりつけのO医師に相談して協力していただき、母に「そうかなあ、なら受けてみようかな」という雰囲気にもっていったのでした。

介護の過程で、母を騙したりするようなことは極力ないようにしてはきましたが、後から振り返って「母を騙してしまった」と後悔するようなこともないわけではありません。

いくつかの場面で決断をしなくてはならない直接介護する者には、そういう辛さがついて回ります。

そういう辛さを、遠方にいる兄弟はなかなか分かってくれない、それが普通だと思います。

行きがかり上、私が母の介護をすることになりましたが、私には兄がいます。

兄は決して非協力的ではありません。ただ遠方にいるというだけです。

私が「今、1度来ておいた方がいいよ」と言えば、たいてい来てくれます。

介護をすることになったら、努めて「明るく」を心がけることが大事だと思います。

私もなかなかそうはいかないのですけれど。

では、2012年2月○日のメモの前半です。

2012年2月○日

・Oクリニックで紹介状を書いてもらって、A病院に行ってきた。神経内科のO先生に診察してもらった。簡単な物忘れの検査をした。100から7ずつ引き算をしていくのや、「さくら、ねこ、電車」の単語を覚えておく検査や、時計や立方体の絵を描く検査など。(ミニメンタルステート検査。)30点中27点とのこと。間違えたのは、今日の日付を「2月×日」と言ったこと。100から7ずつ引いていくのに93の次に行くまでに大分時間がかかったこと。立方体の絵が難しかったこと。M県は何地方かという問いに対して「O地方」と答えたこと。それ以外はよかった。アルツハイマー性の認知症の初期かもしれないが、そんなに心配することはなさそうだと先生は言っていた。もう少し詳しい検査を2月△日にする。言語療法室での30分から40分の検査とMRI。キャンセルがあったからすぐできるが、この日の次、どちらも空いているのは3月○日だった。

帰ってきて、今日の病院の領収書を母は探した。ずいぶん探した後、棚から出てきた。すでにしまったのだが、それを忘れていたようだ。それから、化粧品の振り込みを忘れているという電話があり、振込用紙を持って一郎(私)がコンビニに振り込みに行ったが、期限切れのため振り込みができなかった。電話で問い合わせたら、「期限切れの振り込み用紙はコンビニでは使えず、月曜日以降に郵便局に行けば振り込める」と伝えたとのことだった。話の内容をきちんと理解していなかったか、一郎に伝えるときには、「コンビニではだめ」という内容を忘れていたかどちらかだろう。

長くなってきたので、今日はここまでです。

「M県は何地方かという問いに対して『O地方』と答えた」とメモにありますが、母は若い時にこの質問をされても正解を答えられなかったのではないかという気がします。戦争の影響で母は小学校をきちんと卒業できていないのですから。今日の日付を間違えるのも、私たち普段けっこうしていますよね。「なんかなー」ともやもやした気分になったことを覚えています。

この日のメモの続きは次回です。

介護で大事なことはたくさんありますが、「明るく、と努めること」「一人で抱え込まず人に相談すること」、まずそう感じでいます。

第3回 認知症介護 このブログについて

このブログでは、認知症の母を介護することになった私が、何かの役に立てばと思って書き始めたメモを元に書いていきます。

母の認知症の症状がどんなふうに始まり、どんなふうに進行していったか。

介護をする私がどう感じ、どう考え、どう対処していったか。

メモは2012年2月から始まります。

この日は大きな病院で認知症の検査を初めて受けた日です。

母の異変を感じ始めたのはそれより1年近く前でした。

現在、母はグループホームに入っており、自宅での介護は2年ほど前に終わりました。

母がグループホームに入る前と後では、私の家族の生活は大きく変わりました。

しかし、母の介護が終わったわけではありません。

6年ほど前から、少しずつ現在に近づいてくる形で進めます。

少し時間が経ったから分かったこともあります。

現時点での感想なども添えながら、振り返っていきます。

初めは少しまとめて記事を書いていきますが、しばらくしたら週に1度くらいのペースで更新していく予定です。

まずは、10回までをまとめて書き、30回までは毎日更新するのを目標とします。

その後は、週に1度、基本的には土曜日の夜10時に更新しようと考えています。

もし余裕があれば、水曜日か木曜日にもう1度更新できればと思っています。

医療従事者ではありませんので、用語などで正確でないこともあるかもしれません。

数年前と現在を行ったり来たりしますので、法律や制度など、現在とずれが生じることもあるかもしれません。

人名など固有名詞は、仮名やイニシャルを原則とします。

タイトルは、実は考えているものがありますが、事情があり今は使いません。

5年後、10年後に、時が来たら変更したいと考えています。

とりあえず「介護の誤解」でいきます。

「ある認知症介護の記録」はサブタイトルです。

ご了承くださいますよう、お願いいたします。

第2回 認知症介護 介護に携わる人の力になれたら

「家族を介護する全国の人たちの思いを背負っていた」。

認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した事故(2007年12月、愛知県大府市)で、JR東海に勝訴した長男(65歳)が朝日新聞のインタビューに応じて、こう答えました。(2016年3月22日の朝日新聞による。)

まさに、そうです。私も注目していました。

介護の日々はつらいものです。しかし、そのつらさはなかなか分かってもらえません。

認知症の介護には、また特有の難しさがあります。

この長男はこうも述べています。

「夜中に何度も起こされる時の眠さや、汚れた体を洗う時の臭いは、いくら伝えようとしても、書面では伝えきれない。だから、裁判官は介護する側の生活や思いを五感で想像し、考えてほしい」。

私の母も、2011年頃から物忘れが目立ち始め、2012年には認知症と診断されました。2015年8月に母がグループホームに入るまで、様々な状況に悩まされました。冷蔵庫に同じものが溜まっていき腐っていく。夜中に大声で騒いだりカンカン音を立てたりする。母が徘徊してみんなで探し回ったこともありました。

2009年4月20日に元タレントの清水由貴子さんが自殺した事件を、私は他人事とは思えませんでした。清水さんの自殺は介護によるうつが原因だとされました。数年の闘病(家族にとっては介護)を経て2005年4月に私の父は他界しており、清水さんの事件は、その4年後のことでした。

その後も老老介護による介護疲れの心中事件、殺人事件が報道されるたびに私の胸は痛みました。

しかし、介護の現状の深刻さが広く認識されるには、もう少し時間が必要でした。

介護の現状の深刻さが広く認識され始めたのは、介護離職の多さが問題にされるようになった2012年か2013年以降のように思います。厚労省が実施している「就業構造基本調査(2012年)」によると、2011年10月から2012年9月の1年間だけでも、介護を理由に介護離職をした人は10万人以上にのぼっています。

総務省の「社会生活基本調査」(2011年)によると、15 歳以上でふだん家族を介護している人は 682 万9千人となっています。そのうち、女性は 415万4千人、男性は 267 万5千人です。高齢化社会の進展に伴って、介護の問題はますます深刻さを増していきます。認知症の人やその家族を支える環境はまだまだ整っているとは言えません。

もちろん、認知症の症状や対処の仕方はいろいろなので、私の見聞きしたことはほんの一例です。しかし、それを紹介することで、これから介護に直面する人の気持ちが少しでも楽になったり、介護への覚悟をするきっかけになったりすれば幸いです。