第5回 認知症介護 認知症初期の症状 モノ探し

 前回に続き、2012年2月○日のメモの後半です。

2012年2月○日

これまでのことを簡単に記したものをA病院に持って行ったので、それを次にコピーしておこう。

生活状況

① 二世帯住宅で息子の家族(夫婦と子ども3人)と生活している。

② 小学校4年生の三女は、一緒に過ごしている時間が長い。

③ 夕食は息子の家族と一緒に6人で食べることが多い。朝食と昼食は自炊。

④ 60歳代の後半にM市に来たため、周囲に知り合いはあまりいない。

⑤ 電車で1時間あまり離れたN市に妹がおり、2か月に一度くらいは会いに行っている。

家族が気になったこと

① 1年ほど前から、物忘れが少し目立つようになった。直前にしたことを忘れているような感じのことが多くなった。

② 1年ほど前、1泊旅行から帰ってきた時に、「持って行ったはずの化粧品がない」と探した。その化粧品はすでに帰宅後にカバンから取り出し、片づけていた。元々几帳面な性格なので、片づけは苦手ではなかったが、物を探すことも増えた。

③ 半年ほど前の2011年8月に家族みんなで北海道旅行をした時、北海道に来ていることが分かっていないかのような発言が2度ほどあった。車の中でうとうとしていた後だったので、少し寝ぼけているのかとも思ったが、その晩、ホテル内のレストランで食事を終えた後、「今からホテルに行くの?」と聞いたので、ホテルの中にいるのが分かっていなかったかもしれない。

④ 2か月ほど前、眼科を受診して、その帰りにかかりつけ医のOクリニックにも行った。眼科でも複数の薬が出て、どの薬をいつ使うかが把握できていなかった。その時に、Oクリニックで出されている薬も、きちんと飲めていないことが分かり、薬をなるべくまとめてもらうようにした。薬の服用については、何をいつ飲むか、理解しにくくなっている。

⑤ 日常生活で今のところ大きな支障はない。
A病院の患者番号(ID)はXXXXXX

 「これは明らかにおかしい」と感じ、私が今でもはっきり覚えているのは、「家族が気になったこと」の②、几帳面な母がすでに片づけていた化粧品を必死に探していた姿です。

 元々、物をあちらこちらに適当に置く性格の人もいます。
ただ、母の場合はそうではなく、「物を探すことが増えた」のは、今思えば明らかに認知症の初期の症状でした。

第4回 認知症介護 認知症の検査に連れていく

私の介護メモが始まるのは2012年2月○日からです。

認知症介護の初期に感じる難しさの1つは、様子がおかしくて認知症の検査を受けさせたいと思っても、本人は当然のように嫌がるということです。

私の母もそうでした。

物忘れが少しずつ増え、できないことが少しずつ増えていくけれど、思考力や感情がなくなるわけではありません。

これは症状が大分進んでからでも同じです。

かかりつけのO医師に相談して協力していただき、母に「そうかなあ、なら受けてみようかな」という雰囲気にもっていったのでした。

介護の過程で、母を騙したりするようなことは極力ないようにしてはきましたが、後から振り返って「母を騙してしまった」と後悔するようなこともないわけではありません。

いくつかの場面で決断をしなくてはならない直接介護する者には、そういう辛さがついて回ります。

そういう辛さを、遠方にいる兄弟はなかなか分かってくれない、それが普通だと思います。

行きがかり上、私が母の介護をすることになりましたが、私には兄がいます。

兄は決して非協力的ではありません。ただ遠方にいるというだけです。

私が「今、1度来ておいた方がいいよ」と言えば、たいてい来てくれます。

介護をすることになったら、努めて「明るく」を心がけることが大事だと思います。

私もなかなかそうはいかないのですけれど。

では、2012年2月○日のメモの前半です。

2012年2月○日

・Oクリニックで紹介状を書いてもらって、A病院に行ってきた。神経内科のO先生に診察してもらった。簡単な物忘れの検査をした。100から7ずつ引き算をしていくのや、「さくら、ねこ、電車」の単語を覚えておく検査や、時計や立方体の絵を描く検査など。(ミニメンタルステート検査。)30点中27点とのこと。間違えたのは、今日の日付を「2月×日」と言ったこと。100から7ずつ引いていくのに93の次に行くまでに大分時間がかかったこと。立方体の絵が難しかったこと。M県は何地方かという問いに対して「O地方」と答えたこと。それ以外はよかった。アルツハイマー性の認知症の初期かもしれないが、そんなに心配することはなさそうだと先生は言っていた。もう少し詳しい検査を2月△日にする。言語療法室での30分から40分の検査とMRI。キャンセルがあったからすぐできるが、この日の次、どちらも空いているのは3月○日だった。

帰ってきて、今日の病院の領収書を母は探した。ずいぶん探した後、棚から出てきた。すでにしまったのだが、それを忘れていたようだ。それから、化粧品の振り込みを忘れているという電話があり、振込用紙を持って一郎(私)がコンビニに振り込みに行ったが、期限切れのため振り込みができなかった。電話で問い合わせたら、「期限切れの振り込み用紙はコンビニでは使えず、月曜日以降に郵便局に行けば振り込める」と伝えたとのことだった。話の内容をきちんと理解していなかったか、一郎に伝えるときには、「コンビニではだめ」という内容を忘れていたかどちらかだろう。

長くなってきたので、今日はここまでです。

「M県は何地方かという問いに対して『O地方』と答えた」とメモにありますが、母は若い時にこの質問をされても正解を答えられなかったのではないかという気がします。戦争の影響で母は小学校をきちんと卒業できていないのですから。今日の日付を間違えるのも、私たち普段けっこうしていますよね。「なんかなー」ともやもやした気分になったことを覚えています。

この日のメモの続きは次回です。

介護で大事なことはたくさんありますが、「明るく、と努めること」「一人で抱え込まず人に相談すること」、まずそう感じでいます。

第3回 認知症介護 このブログについて

このブログでは、認知症の母を介護することになった私が、何かの役に立てばと思って書き始めたメモを元に書いていきます。

母の認知症の症状がどんなふうに始まり、どんなふうに進行していったか。

介護をする私がどう感じ、どう考え、どう対処していったか。

メモは2012年2月から始まります。

この日は大きな病院で認知症の検査を初めて受けた日です。

母の異変を感じ始めたのはそれより1年近く前でした。

現在、母はグループホームに入っており、自宅での介護は2年ほど前に終わりました。

母がグループホームに入る前と後では、私の家族の生活は大きく変わりました。

しかし、母の介護が終わったわけではありません。

6年ほど前から、少しずつ現在に近づいてくる形で進めます。

少し時間が経ったから分かったこともあります。

現時点での感想なども添えながら、振り返っていきます。

初めは少しまとめて記事を書いていきますが、しばらくしたら週に1度くらいのペースで更新していく予定です。

まずは、10回までをまとめて書き、30回までは毎日更新するのを目標とします。

その後は、週に1度、基本的には土曜日の夜10時に更新しようと考えています。

もし余裕があれば、水曜日か木曜日にもう1度更新できればと思っています。

医療従事者ではありませんので、用語などで正確でないこともあるかもしれません。

数年前と現在を行ったり来たりしますので、法律や制度など、現在とずれが生じることもあるかもしれません。

人名など固有名詞は、仮名やイニシャルを原則とします。

タイトルは、実は考えているものがありますが、事情があり今は使いません。

5年後、10年後に、時が来たら変更したいと考えています。

とりあえず「介護の誤解」でいきます。

「ある認知症介護の記録」はサブタイトルです。

ご了承くださいますよう、お願いいたします。