第92回 認知症介護 グループホームから外出しうなぎを食べに行った

 認知症の母がグループホームに入って1年を迎えようとする2016年の7月、母とうなぎを食べに行きました。

 以前から家族そろって時々行っていた川沿いのうなぎ屋です。

 「第82回 認知症介護 グループホームから外出し寿司を食べに行った」で、外出して寿司屋に行ったことは書きましたが、今度はうなぎです。

 目の前が清流で知られる大きな川で、子どもたちが小さい頃は、待ち時間や食べ終わった後に川で遊んだ思い出のある、そんな場所です。

 7月ということで、子どもたちも夏休みに入っており、県外の大学に出ている長女を除き、家族みんなで行けました。

 母と妻と次女と三女と私の5人です。

 食べに行く2日前に、グループホーム「S」には、外出届を出しに行きました。

 母がお世話になっているグループホーム「S」は、外出届を出せば、比較的自由に外出や外泊ができてありがたいです。

 こちらからお願いしなくても、時々外食やショッピングにも連れて行ってくれます。

 うなぎを食べに行ったのは、日曜日だったこともあり、大変混んでいました。

 田舎とはいえ人気の名店なのです。

 私たちは大抵うな重を注文しますが、三女は白焼きを注文します。

 初めてその店に行ったときに、白焼きを注文して、それ以来、白焼きが好みなのです。

 タレで食べるうな重ももちろん美味ですが、わさび醤油で食べる白焼きも絶品です。

 開店時刻の11:00に到着するように行きましたが、すでに15組もの行列ができていて、結局2時間待ちで店に入ることができました。

 私たちの次のグループのところで「本日は終了」の看板が出されました。

 開店してわずかに10分後のことです。

 あやうく食べ損ねるところでした。

 母が元気だったころ、「何が食べたい」と聞くと、まず返ってくる答えは「寿司」でした。

 その次が「うなぎ」だったのです。

 どちらも私たちにとっては「たまの贅沢」でした。「一年に一度のごちそう」のようなものです。

 この頃の母は、まだ食欲も旺盛で、うな重を完食して、帰りに寄ったコンビニではプリンも買って食べました。

 2016年7月のメモ二つです。

2016年7月○日

・週に一回のペースで母の面会には行っている。

 明後日、昼に外出して、うなぎ屋にうなぎを食べに行く予定で、外出届を書きに行った。

 書類を書いて、母には「明後日、外でごはんを食べるからね。また来るね」とだけ言って帰ってきた。

 出てくるとき、隣に座っている人と言葉を交わしているのが見えたが、「息子」と答えていた。

 息子だという認識はまだ大丈夫なようだ。

2016年7月△日

・家族4人と母でうなぎを食べにうなぎ屋に行った。

 10:30から外出して13:00にグループホーム「S」に戻る予定だったが、昨日が土用の丑だったこともあり、満員で開店の11:00ちょうどくらいに店に着いたが、その時にはすでに15組が並んでいた。

 いや開店と同時に店に入った人を除いて15組。

 結局2時間待って13:00頃に店に入った。

 17組目のところで「本日は終了」の看板。

 この看板が出されたのは11:10頃だった。

 14:00頃店を出て、帰りにミニストップによって母はプリンを食べて、14:45頃にグループホームに戻った。

 私と三女の秋子でグループホーム「S」の中に連れて行ったが、母は私たちが帰ろうとすると「一緒に行きたい」と言って辛かった。

 「また来るからね」と言ってすぐに帰ってきた。

第91回 認知症介護 介護のストレスか、グループホームに預けた負い目か 

 私が寝ている部屋の隣の部屋に母がいます。

 母はパニック状態になっていて、ふすまをブスッ、ブスッと傘か何かで刺してきます。

 母の声はしません。

 「お母さん、お母さん」と私は、母を落ち着かせようと何度も母を呼びました。

 しかし、声が出せません。

 「お母さん、お母さん」と言っているつもりなのに、「おあああん、おあああん」としか言えません。

 私は焦りました。

 母は黙ったままブスッ、ブスッとふすまを刺してくるのをやめません。

 「おあああん、おあああん」。

 私の方がパニック状態です。

 「大丈夫?」という妻の声で、私は目が覚めました。

 夢を見ていたのです。

 母の姿も見えないし、母の声も聞こえないのに、母がパニック状態と分かっていたのは、夢だったからなのでした。

 「うなされているようだったよ。お母さん、お母さんって言っていたよ。」と妻は言いました。

 認知症の母をグループホームに預けることになってから、8カ月ほどが経過した2016年4月のことでした。

 「家族がつぶれてはいけない、明るい介護を目指そう」と心がけてはいましたが、私には、なかなかあっけらかんとした介護はできませんでした。

 母の一挙手一投足、一言一言に心が揺れました。

 自宅での介護もそろそろ限界だと感じて、母をグループホームに預かってもらうことにして、介護の大変さは軽減されたものの、「本当によかったのだろうか」という思いは、なかなか消えませんでした。

 「介護を苦労と思ってはいけない」などと、どうしても力が入ってしまい、自然体ではいられないのです。

 介護している人の多くはそうだと思いますが。

 2016年4月のメモです。

2016年4月○日

・夢を見た。

 寝言を言っていたようだ。

 私の妻は「うなされているようだった」と言っていた。

 時計を見たら朝の2時だった。

 母が隣の部屋にいて、私は寝ている。

 母が何かパニックになったようにわめきだして、傘のようなもので部屋を仕切っているふすまをブスッ、ブスッと刺し始めた。

 それで寝ていた私は、母を少しでも落ち着かせようと「お母さん、お母さん」と声を出していたのだ。

 「お母さん」という言葉がうまく言えなくて焦りながら。

 夢の中では「お母さん」と3回言っていた。

 母を介護してきたストレスや、母をグループホームに預けている悲しみが、このような形で現れたのかもしれない。

 今もだいたい週に一度くらいのペースで面会には行っているが。

第90回 認知症介護 NHKスペシャル「シリーズ 人生100年時代を生きる」その3

  NHKスペシャル「シリーズ 人生100年時代を生きる」の第2回が、11月18日の日曜日に放送され、私も見ました。

 「命の終わりと向き合うとき」というタイトルで「終末期医療」がテーマでした。

 「終末期医療」について、私は父の晩年からずっと考え続けています。

 13年程になります。

 認知症の母を介護することになってからは、ますます「終末期医療」について考えるようになり、その方面の本も何冊も読んできました。

 中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)、石飛幸三『「平穏死」という選択』(幻冬舎ルネッサンス新書)、川嶋朗『医師が教える幸福な死に方』(角川SSC新書)、久坂部羊『日本人の死に時』(幻冬舎新書)などです。

 番組では、最先端の医療設備が整う救命救急センターに、80歳以上の高齢者が次々と運び込まれてくる現状を紹介していました。

 社会保障費の抑制を図るため、高齢者の最期を支える場所を「病院」から「自宅」へと国が方針転換したものの、予期していなかったことが起こっているのです。

 介護している高齢者の呼吸が遅くなるなどした際、終末期かどうかの判断がつかないため、家族が救急車を呼ぶ、高齢者は病院に運ばれ、そのまま延命医療を長期間受け続ける、という事態が頻発しているというのです。

 医療技術の進歩によって、80歳以上の高齢者に対しても人工透析ができるようになったものの、人工透析をしているうちに認知症を発症し、本人が人工透析を希望するかどうかの意思確認ができないまま、透析を続けている例も少なくないようです。

 装置を外さないように、手にミトンをはめられ、拘束された状態で人工透析をする高齢者。

 その高齢者の孫があんなにまでして治療するのを見るのはつらい、と言ったそうですが、私もそう思います。

 意識が戻らないまま横たわる親の姿を見て「こんなはずではなかった」と悔いる家族、本当にこれがすべきことなのかと悩む医師たち。

 私が「ああ、そうなのか」と思ったのは、今は人工呼吸器を外すなど、延命医療を中止することもできるようになってきたということです。

 人工呼吸器、胃ろう、人工透析など、延命のための治療は、一度始めたらやめることができない、と私は思っていました。

 10年ほど前までは、やめられないというのが常識だったようです。

 「少なくとも人工呼吸器を途中で外すということはできない」とほとんどの医師も考えていた、とのことでした。

 実際に一度付けた人工呼吸器を外す選択をした家族も紹介されていました。

 膨らみ続ける医療費を抑制するという目的もあるでしょう。

 延命医療が本人や家族のために本当にいいことなのかという議論が高まってきたこともあるでしょう。

 延命医療の中止や不開始ができるようになってきたのはいいことだと、私は考えています。

 ゲストの阿川佐和子さんも、そのお父さんも、そして多くの人が、自分に延命医療をしないでほしい、と考えているようです。

 痛みの緩和は行ってほしいと思うけれど、意識がない状態で、人工呼吸器や胃ろうや人工透析で延命されるのは勘弁してほしい。

 多くの人と同じように、私もそう考えています。

 自分の命は基本的には自分のもので自分が決定すればいいと思いますが、一方で、自分だけのものではないとも思います。

 意識がない状態でも生きていることが家族の励みになることもあるからです。

 私は、延命医療をしてほしくないと明確に考えており、エンディングノートも書いています。

 毎年一度書き直すような丁寧なことはしていませんが。

 そのエンディングノートが私の書斎の本棚にあるのを、私の長女は知っています。

 私の妻は知らないかもしれません。

 あまり気にしていない様子です。

 私が話してもあまり真剣に聞いていないようにも感じます。

 妻は自分の父親が半身不随や寝たきりになり、晩年は脳死状態になったということを経験しているので、私のようにきっぱりと延命医療を拒否するとまでは考えられないのだと思っています。

 番組にも登場していたような、患者の人生の最期に寄り添ってくれる医師が増えてくれることを望んでいます。

 詳しくはNHKのホームページをご覧ください。

 NHKスペシャル第2回「命の終わりと向き合うとき」