認知症の母をグループホームに入れる日が近づいていました。
すでにグループホーム「S」には申込書を提出していましたが、他の所も見ておきたいと考えました。
子どもたちが自転車で行ける範囲がいいと考えました。
遠くにいいグループホームがあったとしても、遠くに行ってしまえば、どうしても私たち家族が訪問する回数が減ってしまうと思ったからです。
家族の訪問が減ってしまえば、いくら丁寧な対応をしてくれるグループホームのスタッフの方とはいえ、介護に気持ちが入らなくなるのも自然なこと、と思えたからです。
子どもたちも、特に三女の秋子は、母の介護を結構助けてくれていたので、秋子が行こうと思った時に自転車でも行けるところがいいなと考えたのです。
結局見学したのはグループホーム「S」以外に、グループホーム「Y」、グループホーム「N」、グループホーム「M」の4か所でした。
この頃、私は「認」という字を新聞やテレビで見かけるとドキッとするようになっていました。
「認知症」という言葉に過敏になっている気がしました。
妻は秋子も多少それに近いものがあったようです。
2015年5月のメモです。
2015年5月○日
・昨日、今日と連続で朝4時頃に、母の独り言で起こされた。
昨日は、また朝の4時にピアノを鳴らした。鳴らすだけでなく、ふたをゆっくりは閉めないから、そのバタンという音も大きい。
今日の独り言も、「うるさい!」「出ていきません!」「○○さん(妻の名前)の車が止まっています!」など、大声で言うから、呼ばれたわけではないけれど、「どうした。寝ていたらいいよ。」と声をかけに行った。
最近は新聞を読んでいて「徹子の部屋放送10000回、ギネス認定」という記事を見てもドキッとする。
「認知症」の「認」の字にドキッとするのだ。
職場でも、街中でも、カンカンという音や、バタンという音が耳に入ると、母の鳴らす音がよみがえってきて、ドキッとする。
妻や三女の秋子も似たようなことを言っていた。
・書いていなかったが、5月○日に、M高校の近くにあるグループホーム「N」を見学し、その場で申込書を出してきた。
翌日、妻と二人でもう一度グループホーム「N」を見学に行ったら、そこの管理者は、知り合いだった。
すぐ近くにあるもう一つのグループホーム「M」も見せてもらった。
そちらの管理者も知り合いだった。
グループホーム「M」の方が古い関係で、つまり早くに入った人が多いから、認知症の程度の高い人が多いとのこと。
こちらは空きが出たから入れるというのだが、すぐに「ではお願いします」と言うのをちゅうちょしている。
グループホーム「M」の方はなかなか空きが出ないだろうとのこと。
空きが出るかどうかは、全く分からず、全然出ないときもあるし、ばたばたと数件続けて出る場合もあるらしい。
グループホーム「M」の方は、常駐の看護師がいて、看取りまでするらしい。
現状では、グループホーム「N」に空きは出なさそうだから、グループホーム「S」が空くのを待つような状況だ。
もう少し、他のグループホームも見に行って、申込書を出しておこうか。