認知症となりできないことが徐々に増えていくといっても、できることもあります。
「できることをなるべく自分でしてもらい、少しでも多くできることを残したい。」私はそう考えました。
しかし、どこまで自分でさせるかの判断には難しい面もあります。
自分でさせてみて、うまくいかずに本人があまりにイライラしているようなら、助け舟を出す、基本的にはそうしました。
母の様子がおかしい、と私が感じた場面の一つは、郵便局でのATM操作に戸惑っている場面を目撃した場面でした。
その日、私が仕事の途中、用事があって郵便局に行くと、母がATMの操作をしていました。
操作がうまくできず、郵便局の方が助けてくださっているようでした。
ここにはもう一つややこしい問題が絡んでいました。
親戚(複数)への経済的援助です。
我が家は決して裕福ではなく、母も年金で何とか生活していけるレベルの生活でしたが、親戚にはもう少し苦しい状況の親戚もおり、母は経済的援助をしていたのでした。
親戚が困っていたら、経済的援助もする、子どもの面倒も見る、そうして多くの人助けをしてきた母でした。
親戚への経済的援助がどれくらいだったか、はっきりは分かりません。
その後、母がお金の管理が難しくなってきたこと、ATMの操作も難しくなってきたことなどを説明し、今後は援助できないことを伝えることになりました。
次のメモは郵便局でのATM操作に戸惑っている場面を目撃したのより、もう少し後のものです。
2012年5月○日
・郵便局、八百屋、お茶屋に行った。
郵便局ではATMの操作が難しくなってきていると感じた。
初めに「お引き出し」を選ぶのに、「通帳記入だっけ」と言っていたし、金額の確認場面で、押すべきところではない部分を押していたし。
一人でお金を下ろしに行くのは難しいかもしれない。
通帳には4月○日くらいまで記帳してあって、残額が6万円位。
2か月に一度、15日頃に年金が振り込まれているが、4月に振り込まれた分が記帳されていないのでお金がないと思っていたようだ。
それで「S代(私の姉)に30万円貸したから今お金がない」と言っていた。
通帳を見てみると、確かに以前30万円姉に送金している。
それ以外にも15万円、6万円、3万円と合計すると50万円以上送金している。