第3回 認知症介護 このブログについて

このブログでは、認知症の母を介護することになった私が、何かの役に立てばと思って書き始めたメモを元に書いていきます。

母の認知症の症状がどんなふうに始まり、どんなふうに進行していったか。

介護をする私がどう感じ、どう考え、どう対処していったか。

メモは2012年2月から始まります。

この日は大きな病院で認知症の検査を初めて受けた日です。

母の異変を感じ始めたのはそれより1年近く前でした。

現在、母はグループホームに入っており、自宅での介護は2年ほど前に終わりました。

母がグループホームに入る前と後では、私の家族の生活は大きく変わりました。

しかし、母の介護が終わったわけではありません。

6年ほど前から、少しずつ現在に近づいてくる形で進めます。

少し時間が経ったから分かったこともあります。

現時点での感想なども添えながら、振り返っていきます。

初めは少しまとめて記事を書いていきますが、しばらくしたら週に1度くらいのペースで更新していく予定です。

まずは、10回までをまとめて書き、30回までは毎日更新するのを目標とします。

その後は、週に1度、基本的には土曜日の夜10時に更新しようと考えています。

もし余裕があれば、水曜日か木曜日にもう1度更新できればと思っています。

医療従事者ではありませんので、用語などで正確でないこともあるかもしれません。

数年前と現在を行ったり来たりしますので、法律や制度など、現在とずれが生じることもあるかもしれません。

人名など固有名詞は、仮名やイニシャルを原則とします。

タイトルは、実は考えているものがありますが、事情があり今は使いません。

5年後、10年後に、時が来たら変更したいと考えています。

とりあえず「介護の誤解」でいきます。

「ある認知症介護の記録」はサブタイトルです。

ご了承くださいますよう、お願いいたします。

第2回 認知症介護 介護に携わる人の力になれたら

「家族を介護する全国の人たちの思いを背負っていた」。

認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した事故(2007年12月、愛知県大府市)で、JR東海に勝訴した長男(65歳)が朝日新聞のインタビューに応じて、こう答えました。(2016年3月22日の朝日新聞による。)

まさに、そうです。私も注目していました。

介護の日々はつらいものです。しかし、そのつらさはなかなか分かってもらえません。

認知症の介護には、また特有の難しさがあります。

この長男はこうも述べています。

「夜中に何度も起こされる時の眠さや、汚れた体を洗う時の臭いは、いくら伝えようとしても、書面では伝えきれない。だから、裁判官は介護する側の生活や思いを五感で想像し、考えてほしい」。

私の母も、2011年頃から物忘れが目立ち始め、2012年には認知症と診断されました。2015年8月に母がグループホームに入るまで、様々な状況に悩まされました。冷蔵庫に同じものが溜まっていき腐っていく。夜中に大声で騒いだりカンカン音を立てたりする。母が徘徊してみんなで探し回ったこともありました。

2009年4月20日に元タレントの清水由貴子さんが自殺した事件を、私は他人事とは思えませんでした。清水さんの自殺は介護によるうつが原因だとされました。数年の闘病(家族にとっては介護)を経て2005年4月に私の父は他界しており、清水さんの事件は、その4年後のことでした。

その後も老老介護による介護疲れの心中事件、殺人事件が報道されるたびに私の胸は痛みました。

しかし、介護の現状の深刻さが広く認識されるには、もう少し時間が必要でした。

介護の現状の深刻さが広く認識され始めたのは、介護離職の多さが問題にされるようになった2012年か2013年以降のように思います。厚労省が実施している「就業構造基本調査(2012年)」によると、2011年10月から2012年9月の1年間だけでも、介護を理由に介護離職をした人は10万人以上にのぼっています。

総務省の「社会生活基本調査」(2011年)によると、15 歳以上でふだん家族を介護している人は 682 万9千人となっています。そのうち、女性は 415万4千人、男性は 267 万5千人です。高齢化社会の進展に伴って、介護の問題はますます深刻さを増していきます。認知症の人やその家族を支える環境はまだまだ整っているとは言えません。

もちろん、認知症の症状や対処の仕方はいろいろなので、私の見聞きしたことはほんの一例です。しかし、それを紹介することで、これから介護に直面する人の気持ちが少しでも楽になったり、介護への覚悟をするきっかけになったりすれば幸いです。

第1回 認知症介護 母への思い

私には忘れられない光景が二つあります。それは、私がこの目で見た光景なのか伝え聞いたのかは定かではありませんが、今でもありありと頭に浮かぶのです。

その一。

私の兄は、小学生の頃、蓄膿症でした。その治療として母は、バスを乗り継いでハリ治療に連れて行っていました。

ある冬の日、一つ目のバスを降りたところで、兄は言いました。

「ここから歩いて行くから肉まんを買って。」

肉まんが食べたい、その分のお金の節約として、バスに乗らずに歩こうと考えたのでしょう。バス停にして二つ、歩けば10分か15分の距離です。しかし、寒い冬のことです。

母は肉まんを買ってやり、バス停二つ分を歩きました。

肉まんを買わない選択もありました。買ってやって、バスに乗っていく方法もありました。しかし、子どもの希望を聞いてやり、考えたことを尊重してやり、そして、子どもと一緒に苦労しました。母はそんな理屈のようなことは考えなかったに違いありません。しかし、私には子育ての最も重要な要素がつまった光景として、頭に焼き付いているのです。

その二。

それは、私が小学校低学年の頃でした。インフルエンザだったのかどうか、今となっては分かりませんが、私は40度を超す熱を出してぐったりしていました。私の熱に気づいた母は、私をおんぶして病院まで10分ほど走ってくれました。冬の夕方のことでした。

どちらも40年以上前のことです。

母は子育てが趣味のような人で、親戚の子もよく預かっていました。

そんな母が数年前認知症と診断され、私も介護の日々を過ごしてきました。

不機嫌になった母をなだめるとき、自分からは洗おうとしなくなった母の髪を洗うとき、頭に浮かぶのはあの二つの光景でした。

肉まんを食べる子どもの手を引いて冬の道を歩く母の姿。そして、熱を出した私をおんぶして病院に走る母の姿。

どれだけ母への感謝があっても、認知症の介護は簡単にはいきません。

認知症に関連する悲しい事件が報道されるたびに胸が痛みます。

このブログが介護に関わる家族の方たちのほんの一助にでもなればと祈ります。