第112回 認知症介護 母の「夢だった」の意味

 「夢だった」と母が言いました。

昨年(2018年)9月に、私が一人でグループホームに面会に行ったときのことです。

母との意思疎通は難しくなっているので、その「夢だった」の意味が分かりません。

会いに行った少し前にうとうとしていて夢を見ていたのかもしれません。

それを「夢だった」と言ったのか。

前後の脈絡はありません。

この1か月ほど後に面会に行ったときに「もう死にたい」と母が言って、ドキッとしたこともありました。

その時は正気で言っていると感じたからです。

それを思うとこの「夢だった」も正気の言葉と思えてくるのです。

「人生を振り返ると夢のようだった」かもしれません。

しかし、このとき私が聞いたのは、「お前に会うのが夢だった」なのです。

それも普通に考えればおかしいのです。

数週間に一度は会いに行っているのですし。

母はもう私のことを息子だと認識していないようです。

このときも「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼んでいました。

私は次男ですから、幼いころも母から「おにいちゃん」とは呼ばれていません。

もしかすると兄と見分けがつかなくなっているのかもしれません。

息子としての長男としての「おにいちゃん」ではなく、よその男の子に対しての「おにいちゃん」という感じの呼びかけではありましたが。

本当のところは、単純な意味なのかもしれませんが、あれこれと考えてしまいます。

母がそう感じているかどうかも分からないのですが、言いたいことを伝えられないもどかしさを感じているかもしれない、と考えてしまうのです。

2018年8月の短いメモと9月のメモです。

2018年8月○日

・兄が来ていたので、三女の秋子と私の三人でグループホーム「S」に行ってきた。

今日は母の顔色もよく、機嫌がよさそうなのが何よりよかった。

2018年9月○日

・そろそろグループホームに預けているお小遣いが足りなくなっているのではないかと思い、1万円を持って行った。

やはりマイナス2000円になっていた。

母はそれなりに元気そうだった。

私に向かって何度も「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼んでいた。

昨日、N市に行ってきたことなどを話すと、「よかったね」などの受け答えはする。

途中「夢だった」と言うので、「夢を見たの」と尋ねると、「夢だった」と言う。

「お前に会うのが夢だった」とはっきりとした口調で言った。

息子に会いたかったという意味なのだろう、たぶん。

「おにいちゃん」と言っているので、息子というのは分かっていない。

もしかすると、息子とは分かっているけど、どう呼べばいいのかが分からないだけかもしれない。

いやいや、それはないな。

でも次男の私にこれまで「おにいちゃん」と呼んでいたことはないので、息子というのはきっと分かっていない。

第111回 認知症介護 面会の間隔があいてきた

 認知症になった母がグループホームに入ったのは、2015年(平成27年)の8月、初めのころは、1週間に1度は面会に行くように心がけていました。

しかし、時間が経つにつれて、面会に行く間隔は徐々に開いていってしまいました。

面会に行くときは、たいてい私の車に乗って行きます。

母が入居しているグループホーム「S」は、私の自宅から車で15分くらいの場所にあります。

母が入居した初めのころ、三女の秋子は一人で面会に行ってくれることもありました。

自転車に乗って25分から30分くらいで行ける距離ですので。

もちろん、面会に行く回数は私が一番多いです。

妻や子どもたちが都合が悪くて行けないこともあります。

私の都合が悪い場合は、たいていみんなが行かないことになりますから。

私はグループホームに必要なものを届けたりすることもありますし、一人で面会に行くこともあります。

面会の間隔があいてしまうのには、いろいろな原因があると思います。

まず、一緒に暮らしてきた家族だという感覚の薄れです。

「遠く離れてしまうと、どうしても関係が疎遠になってしまう」という意味のことわざがありましたね。今すぐ思い出せませんが。

私たち家族と母が、遠く離れたわけでもありませんが。

次に、面会に行くと母が必ず口にする「家に帰りたい」という言葉を聞くのがつらいということもありそうです。

妻や子どもたちも感じているでしょうけれど、私は正直これを聞くのもつらいです。

「そりゃあ、帰りたいだろうな」と思います。

自分がもしグループホームに入ったらと想像しても、家に帰りたいという気持ちが第一に来ると思います。

だから、母のグループホーム入居を決定した私は、申し訳ないという気持ちがどうしても出てきてしまうのです。

家族の状況、介護の限界、様々なことを考えて決めたことではありますが、割り切れないものは残ります。

母の反応が鈍くなってきたこともあるかもしれません。

入居して3年半ほど経ちましたから、その間に、症状は進んでいます。

要介護1だったのが、要介護2となり、今は要介護4です。

2年ぐらい経ったころからだったでしょうか、私のことが息子であると分かっているかも怪しくなってきました。

耳は今でもよく、こちらの言葉が届いているようではあります。

しかし、それも聞こえた言葉をほぼそのまま返すオウム返しが増えています。

母に会えるのもあと何回だろうとも思います。

その気持ちと日々の雑事との間で、私の気持ちはいつも揺れています。

2018年4月と6月のメモです。

2018年4月○日

・2カ月ぶりくらいにグループホーム「S」に行ってきた。

2週間にわたる長期の出張に行っていたから、しばらく行けなかった。

その間、妻と三女の秋子は1度行っている。

一昨日の夜、グループホーム「S」から電話があり、母が鼻を机にぶつけたか何かしたという。

今日も鼻の周りが黄色かった。

みたらし団子を買った。

スタッフの方々に10本と母と食べるために5本。

あいかわらずだが、「家に帰りたいな」と「腰が痛いな」を繰り返し言っていた。

2018年6月○日

・久しぶりにグループホーム「S」に行ってきた。

家族の都合が合わなくて、なかなか行けなかった。

今日は休みを取っていたので、一人で行ってきた。

「家に帰りたいな」と「腰が痛いな」はあいかわらずだったが、今日は「頭が痛いな」も言っていた。

目つきも表情も少しぼーっとしているようだった。

耳は相変わらずよく、言葉をとらえ損ねることはあっても、聞こえていないことはなく、すぐに何らかの返事を返す。

そのまま繰り返しのこともあるが、そうばかりでもない。