私が寝ている部屋の隣の部屋に母がいます。
母はパニック状態になっていて、ふすまをブスッ、ブスッと傘か何かで刺してきます。
母の声はしません。
「お母さん、お母さん」と私は、母を落ち着かせようと何度も母を呼びました。
しかし、声が出せません。
「お母さん、お母さん」と言っているつもりなのに、「おあああん、おあああん」としか言えません。
私は焦りました。
母は黙ったままブスッ、ブスッとふすまを刺してくるのをやめません。
「おあああん、おあああん」。
私の方がパニック状態です。
「大丈夫?」という妻の声で、私は目が覚めました。
夢を見ていたのです。
母の姿も見えないし、母の声も聞こえないのに、母がパニック状態と分かっていたのは、夢だったからなのでした。
「うなされているようだったよ。お母さん、お母さんって言っていたよ。」と妻は言いました。
認知症の母をグループホームに預けることになってから、8カ月ほどが経過した2016年4月のことでした。
「家族がつぶれてはいけない、明るい介護を目指そう」と心がけてはいましたが、私には、なかなかあっけらかんとした介護はできませんでした。
母の一挙手一投足、一言一言に心が揺れました。
自宅での介護もそろそろ限界だと感じて、母をグループホームに預かってもらうことにして、介護の大変さは軽減されたものの、「本当によかったのだろうか」という思いは、なかなか消えませんでした。
「介護を苦労と思ってはいけない」などと、どうしても力が入ってしまい、自然体ではいられないのです。
介護している人の多くはそうだと思いますが。
2016年4月のメモです。
2016年4月○日
・夢を見た。
寝言を言っていたようだ。
私の妻は「うなされているようだった」と言っていた。
時計を見たら朝の2時だった。
母が隣の部屋にいて、私は寝ている。
母が何かパニックになったようにわめきだして、傘のようなもので部屋を仕切っているふすまをブスッ、ブスッと刺し始めた。
それで寝ていた私は、母を少しでも落ち着かせようと「お母さん、お母さん」と声を出していたのだ。
「お母さん」という言葉がうまく言えなくて焦りながら。
夢の中では「お母さん」と3回言っていた。
母を介護してきたストレスや、母をグループホームに預けている悲しみが、このような形で現れたのかもしれない。
今もだいたい週に一度くらいのペースで面会には行っているが。