第95回 認知症介護 認知症、前を向くために その2

 「認知症、前を向くために」という特集記事が、朝日新聞のオピニオン欄にあります。

 今日(2018年12月9日)はその第2回で、「医療の役割」がテーマです。

 「医者の対応にとても怒りを感じました。

 同じような患者を何人もみているからか、とても冷たく、いずれ、何もできなくなり、家族で面倒が見られなく施設にいれることになると。」と50代の女性。

 医師がみんなそうではないとは思いますが、同じような気持ちになった人はたくさんいることだろうと思います。

 ご主人が56歳で軽度認知障害と診断され60歳ごろにアルツハイマー型になったという50代女性の「若年性認知症に理解と支援をお願いしたい」という言葉もありました。

 「超高齢の方には余計な医療で負担をかけない『脱医療化』も考えるべきです」と主張する東京都立松沢病院院長の斎藤正彦さん。

 斎藤医師は「それまで当たり前にできていた料理がうまくつくれない、なぜいま自分がここにいるのかわからない――。そんなとき、だれよりも不安や恐怖を感じているのは患者さんご本人です。そしてそのつらさは、体験している本人しかわからない。そのことを理解していない医療者に、まともな認知症のケアなどできません」と言います。

 このような医師がもっともっと増えてほしいものだと感じます。

 「薬より『伴走』 患者ごとに」という見出しの部分では、大阪市の認知症専門クリニックの院長、松本一生さんが紹介されます。

 1人につき約15分、およそ1か月に1度の面接で松本さんが重視するのは、残っている機能を見つけ「あなたの本質は変わっていない」と伝えることだそうです。

 こうして患者の不安に寄り添っているのです。

 副作用がある割に効果が弱いという理由で、日本で使われている4種類の抗認知症薬が、フランスでは公的保険の対象から外されたことにも触れられていました。

 これは今年8月のことで、このブログでも「第62回 認知症介護 認知症薬 仏が保険適用除外」という記事を書きました(2018年7月7日)。

 兵庫県立ひょうごこころの医療センターの小田陽彦さん(認知症疾患医療センター長)の「よく効いたと判断できるのは40人に1人くらい。ほとんどの人にとっては意味がありません」という言葉もありました。「認知症、前を向くために」は、来週12月16日が第3回。

 全部で第4回までの予定のようです。

第94回 認知症介護 独語と帰宅願望

 認知症の母がグループホームに入って1年あまり経った2016年の9月、グループホームから「おたより」が届きました。

 毎月届けられる領収書や請求書と一緒に、日常の様子を伝えてくれるものが入っているのです。

 それには独り言の内容がきつくなってきているとありました。

 母の独り言については、「第58回 認知症介護 夜中の激しい独り言」や「第63回 認知症介護 独り言 家族への影響」などでも触れています。

 元々は穏やかな性格だった母ですが、子どもの頃のつらい経験が思い出されて吐き出されるような独り言を言ったり、不安や恐怖から出てくる激しい独り言を言ったり、そんなことも増えていました。

 グループホームからのおたよりには、具体的なことは書かれていませんでしたが、家にいた時のようなものだと思います。

 帰宅願望については、グループホームに入った頃からずっと継続です。

 当然のことと思います。

 認知症になってもすべてが分からなくなるわけではありません。

 感情もあるし、思考力だって全くなくなるわけではありません。

 住み慣れた家に帰りたいという気持ちは強いはずです。

 2018年12月現在、母の症状は、グループホームに入った頃よりだいぶん進行していて、もう私が息子であることもたぶん分かりません。

 それでも面会に行けば必ずと言っていいほど「おうちに帰りたい」と言います。

 それが私にはつらい。

 2016年9月のメモです。

2016年9月○日

・グループホーム「S」から7月分の領収書や8月分の請求書が届いた。

 同封されている「おたより」の中の「日常のご様子」にこうあった。

 「何が原因になってしまったのかわかりませんが、7月終わり頃から以前に比べると独語の内容がきつくなってきているように感じます。「家に帰りたいよ」と帰宅願望の訴えが時々あります」とあった。

 帰りたいだろうなあ、つらいことだなあ。

第93回 認知症介護 認知症、前を向くために その1

「認知症、前を向くために」という特集記事が、朝日新聞のオピニオン欄にあります。

今日(2018年12月2日)がその第1回で、「家族の葛藤」がテーマです。

「今まで言いたいことを言って私を傷つけてきた人に、なぜ優しく接しないといけないのか」と嫌いな姑の介護に苦痛を感じている女性の声。

「認知症予防、という言葉に『予防できるはずなのに怠っていたから認知症になったんだ』というとんでもない攻撃が隠れています」と指摘する女性の声。

どちらもよく分かります。

特に「予防できるはずなのに怠っていたから認知症になったんだ」という攻撃が隠れているという指摘には、大いに共感します。

身近な人が認知症になり、その介護を自分で経験してみないと、認知症の人に対して優しくなれない、というのも多くの人の現実なのだと感じます。

自分が痛い目に遭わないと分からない、というのも人間の常ですから。

介護することを「痛い目」などと言ってはいけないですが。

認知症の予防に効果がある習慣は、たしかにいろいろとあるのでしょうし、それを実行して認知症予防に励むのはいいことだと思いますが、誰でも認知症になる可能性はあるはずです。

私も「いつかは自分も認知症になるかもしれない」と思って、介護に向き合ってきました。

予防に努めれば認知症にならないというのは誤解だと思います。

「こうすればこうなる」と考えすぎてはいけないと思います。

最近読んだ内田樹さんの『常識的で何か問題でも?』(朝日新書)のあとがきに心に留まった部分があったので、少し長いですが、引用します。

「入力と出力の間にシンプルな相関関係がある仕組みは『ペニー・ガム・システム』とも呼ばれます。ペニー硬貨を投じると必ずガムが出て来る自動販売機の仕組みです。このシステムを現代人は偏愛しております。特に若い人たちにこの傾向が顕著である。そのことを僕はこれまで何度か指摘してきましたけれど、それはあくまで局所的な傾向に過ぎず、日本社会の隅々にまでこれほど広まっているとは思いませんでした。」

「予防すれば認知症は防げる、それを怠ったから認知症になった」に潜む攻撃性の裏に、「ペニー・ガム・システム」偏向の傾向に通じるものを感じます。

朝日新聞の記事には、このブログの「第11回 認知症介護 どんな本を読んだか」でも触れた『母さん、ごめん』(日経BP社)の松浦晋也さんも写真付きで出ています。

食品を台所いっぱいに散らかして「おなかが減って」と訴えるお母さんに手を上げてしまい、その直後は放心状態で涙があふれた、という松浦さんの経験が書かれています。

「介護の矢面にたたない家族は、介護する人をケアする心配りがほしいと思います」と松浦さんは言います。

これにも同感です。

「認知症の人と家族の会」が定期的に開く「つどい」に参加して、同じ立場の人に悩みや愚痴を打ち明けることの意義も、記事には書かれています。

その東京都支部で司会を務めた斉藤響子さんの言葉にも大いに共感しました。

その部分は、「『こうするべきだ』よりも、目の前の母親が笑っていることが大事だと思えるようになりました」という部分です。

私の母は、最近ほとんど笑顔を見せなくなってしまっています。

食べたものがおいしいとか、家族の話題で笑えるとか、散歩が心地よかったとか、そういうことで少しでも笑顔になれることが大事だと以前から思っています。

それもかなわなくなってくるのですけれど。

「母の首をしめようかと思う」と「つどい」に現れた女性に、「ちょっと笑ってくれることがあったら、その日一日は生きていける。爆笑させられたら1週間、生きていける。その積み重ね」と斉藤さんは話します。

「認知症、前を向くために」は、来週12月9日が第2回。

全部で第4回までの予定のようです。